人見知りが特徴の子どもは対人恐怖症になってしまうのか?

こんにちは!
ぽっぽです

対人恐怖症で人とお話をするのが、
しんどいと感じる人が多くいると思います。

多くの人は、
学校や職場などでお話する場面で、
しんどいと感じると聞きます。

そこで心配になってしまうことに、
自分の子どもも対人恐怖症なんじゃないか?
というものがあります。

いわゆる引っ込み思案だったり、
人見知りだったり、
とにかく人と喋るのが苦手というお子さんも多くいるようです。

そこで今回は、
子どもの対人恐怖症について考えたいと思います。

対人恐怖症と人見知りの違い

よくいるタイプとして、
人見知りをしてしまう子どもがいます。

人見知りの定義としては、
初対面の人と会ったり会話したり、
そういう場面で照れてしまったり避けたりするような傾向のことです。

一見すると対人恐怖症と似ていますが、
内容的には違いがあります。

人見知りは単純に初対面の人と喋るのがイヤ、
ということです。

対人恐怖症は、
自分の言動が他者に不快な思いをさせていたり、
害を与えているんじゃないかと感じ、
その結果対人関係を避けることを言います。

つまり子どもが初対面の人と上手く会話できないから、
その子どもは対人恐怖症だとは言えません。

 

逆にいえば、
子どもの時に人見知りであっても、
将来的に対人恐怖症になるとは限りません。

対人関係を避ける原因が、
両方で異なるためです。

対人恐怖症になる原因

では人見知りであっても、
対人恐怖症にならないのであれば、
原因は一体何でしょうか?

対人恐怖症の原因として考えられるものは、
広義では「経験」が原因だといえます。

もう少し詳しく言うと、
過去の経験で「自分の言動で他者を不快にさせた、もしくは害を与えた」
ということを感じ、
その上で負の感情を感じた経験があると考えられます。

過去にこのような経験をしたために、
それを避けようとして対人関係から遠ざかろうとするのです。

つまり子どもの時に人見知りであっても、
将来的に対人恐怖症になるかはわかりません。

対人恐怖症は、
その子どもがこれから経験していく、
人生の中で作られてしまうと考えられます。

対人恐怖症は日本人の特徴

そもそも、
自分の言動で他者に不快な思いをさせたり、害を与えることなど、
本当にあるのでしょうか?

私の経験として、
人の言動でそのように感じたことはほとんどありません。

というか、
自分が不快に感じてもそれを相手には伝えません。

実は相手に不快を思いをさせているかどうか、
ということは本当のところわかりません。

でも対人恐怖症の人は、
ハッキリとわからないことで、
「もしかして嫌な感じじゃなかったかな…」
などと考えてしまうのです。

なぜこのように考えてしまうのかというと、
それが日本人の特徴だからです。

日本では、
「和」というものを重んじるような文化がまだ残っており、
いわゆる「みんなでやっていきましょう」
みたいな文化です。

私達日本人は、
親や友人や先生などから、
「そんなことすると相手はイヤじゃないですか?」
などのように、
「相手がどのように感じるか」
をよく考えるようにしつけられてきているのです。

震災などが起きた時に、
CMが一時期なくなったことがありました。

これは、
「被災している人がいるのにCMなんて流すのか!?」
という批判を避けるためのものです。

つまり「被災した人(相手)がどのように感じるか考えろ!」
という声を考えた結果なのです。

そのため日本人は、
「相手がどのように感じるか」
を考えるようになっており、
その上で不快を思いをさせたと感じた人は、
対人恐怖症になってしまうと考えられます。

自分の子どもが人見知りで…

仮にご自身のお子様が人見知りだとして、
将来対人恐怖症になるとは限りません。

それは日本人の文化に基づいた、
経験によって作られているからです。

逆に言えば、
人見知りは本人の特徴の一つです。

背が高い人低い人、
手が大きい人小さい人、
色々な人がいるように、
人見知りがある人もない人もいます。

そのため無理に治そうと思うと、
かなり難しい話になるかと思います。

例え初対面の人と喋るのが苦手でも、
魅力を持っている人には人が集まってくるものです。

お子様の人見知りは特徴の一つだと捉えて、
お子様の魅力をもっと素敵に育ててあげれば、
きっと多くの人と関わることが出来るのではないでしょうか。