隠れたデメリットがある!?「自己肯定感が高い」という意味

こんにちは!
胃薬心理士のぽっぽです。

よく常に不安だったり、
自分に自信がなかったりする人に、
「自己肯定感を高くすればいい」
ということを耳にするようになりました。

最近自己肯定感という言葉が出始めて、
色々なところで聞くようになりました。

まるでそれだけを高くしていれば、
なんでも上手くいくように取り沙汰されているように感じます。

ですが個人的には、
自己肯定感が高いということには、
デメリットが多いと思っています。

しかもそのデメリットは、
罠にハマるとなかなか気づかない、
隠れたデメリットなのです。

自己肯定感≠ナルシズム

自己肯定感という言葉を聞くと、
「俺すげー」な感じとか、
自分のこと信じてるんです!
みたいな感じに取られていることが多いです。

だからその自己肯定感を高めれば、
例えばストレスがかかったりとか、
人から批判された時でも、
「いやいや!俺すげーから!」

ってな感じで自分を保つことが出来るのだと思います。

ですが、
「俺すげー!」
という感覚を自己肯定感とするならば、
これはナルシズムに近いように感じます。

ナルシズムというと、
ナルシストの人の心の動きのことで、
自分のことを愛する感情のことを指します。

確かに自分のことを愛していれば、
それで良いように思います。

ですが自分のことを過剰に愛していると、
それは傲慢さなどに繋がる可能性があります。

例えば他の人から一見すると批判に聞こえても、
アドバイスのようなことがあります。

でもそんな時に過度に自分を愛していると、
自分の考えや行動が絶対に正しいと勘違いしてしまって、
アドバイスなどを聞き入れないようになってしまうかもしれません。

 

私は昔から対人恐怖症だったので、
本当に人と喋ることが苦痛でした。

ですが高校生くらいから会話術ということを勉強し始めて、
なんとか普通の人と同じくらいには会話できるようになっています。

それでも会話術を勉強し始めたときの自分は、
「俺は他の人が知らんことを知ってる!」
という謎の自信がありました。

つまりは、
他の人のことを見下してたんです。

その謎の自信のせいで、
失敗をしたことも多々あります。

例えば、
クラスの代表を決める時に、
今までそんなのに立候補したこと無いのに、
謎の自信のせいで急に立候補しちゃったり。

あのときのクラスのみんなの、
「どうしたんや…おまえ…」
という目が忘れられないです…

当時の自分はそんな自分に合っていない自分の姿、
無理しているということを教えてくれたクラスメイトの視線を、
「なんやねんあいつら!」
と怒りで解釈してしまっていました。

自己肯定感という謎の自信のせいで、
自分に合っていない自分、
というメッセージに気づくことができなかったんです。

高い自己肯定感のデメリット

自己肯定感を無理に高めようとすると、
他人を見下したりして、
アドバイスを聞けなくなってしまうことがあります。

つまりは、
傲慢(ごうまん)になってしまうのです。

他人を見下したり、
傲慢になってしまうと、
どのようなデメリットがあるか。

それは、
世界とつながりにくくなるということです。

傲慢になると、
自分の力を過大評価して、
他の人など自分以外のものを過小評価しがちです。

つまり自分の外の世界から入ってくる情報は、
価値がないものであると勘違いしてしまうのです。

そうやって世界と自分との間に、
大きな溝を作ってつながりにくくなるんです。

では逆に自己肯定感が低くて、
傲慢の逆の状態だとします。

謙虚である場合です。

傲慢とは逆に、
自分のことを過小評価して、
世界のことを過大評価しがちです。

そうすることで、
世界には価値があるし、
他人にも価値があると捉えることができます。

つまりは、
世界に対してとても開けていて、
世界とつながりやすいといえます。

そのため傲慢な人と比べて、
謙虚な人のほうが、
他人から良い人だと評価されることが多いでしょう。

それは、
世界や他人と繋がりやすいかどうか、
という点で見られるためです。

まとめ

むやみに自己肯定感が高めると、
他人を見下したり、
傲慢になってしまいます。

傲慢になってしまうために、
他人のアドバイスを聞きにくくなるなど、
自分の外側のことや他人とつながりにくくなります。

世界と繋がりやすくなることは、
傲慢であることよりも、
謙虚であることのほうがやりやすいと言えます。