心理士が思う、恋愛で妥協する自分なりの基準

こんにちは!
ぽっぽです

前回では自分が中学生の時にしてしまった、
最低なことについてお話をしました。

それから数年がたったくらいで、
対人恐怖症になったんです。

人からどう思われているのかが怖くて、
人と喋るのがどうにも嫌で、
人とどう喋っていいかが分からなくなりました。

原因なんて分からないです。

ただしんどかったんです。

そのしんどいことを抱えたまま中学時代を過ごし、
高校生になっていました。

新しい出会い

高校に入ってすぐくらいに、
また隣の女の子と車喋ることが多くなりました。

まあ席も近いんで、
当たり前っちゃ当たり前ですね。

自分も喋るのが嫌なりに、
その人と喋っていました。

相変わらずのオタクっぽい雰囲気ムンムンでしたけど。

でも意外とその子とは話が合って、
会話もそれなりにはずみました。

 

メールもちょくちょくしてたし、
学校で目が合うとお互いにニコッとするくらいの仲にはなってました。

いわゆるええ感じの雰囲気にはなってたんです。

 

ですがその時の自分は、
何となくその人が好きになれずに、
結局踏み込むことはしませんでした。

恋愛経験の少ない自分ですが、
イケると確信はあったのですが、
いきませんでした。

ものすごく好みというわけではなく、
ものすごく嫌いでも無い、
というすごく微妙な人です。

言い方は少し悪いですが、
妥協すればいけるかなっていう感じでした。

妥協をする基準

この時の自分は、
「何かこの人は違うなぁ…」
と思っていました。

でもそう思いながらも、
その人との関係を深めていくことが出来たかもしれません。

少し違う例では、
嫌というわけではないけど、
好きでもない女の子から告白されたことがあります。

あんまり好きでも無いけど、
まあ付き合ってみるかー、
っていう選択肢もありました。

でも付き合いませんでした。

それは自分なりに基準を作っているからです。

決してこれが正しいというわけでもなく、
あくまで自分なりの基準です。

まず一つに、
自分がその人を好きかどうかを測る基準を作っています。

それが、
自分がその人に何かをしてあげたいか、
ということです。

私がよく思っていたことで、
西野カナさんの「トリセツ」っていう曲がありますよね。

自分の取扱説明書があるとして、
それを好きな人に読んでいるって感じの曲です。

この曲ですが、
自分がして欲しいことばかりが歌詞になっているのです。

聴くたびに、
「いや、お前は何もせんのかい!」
って思います。

確かに好きな人から愛情を持ってしてもらったことは嬉しいです。

ですがその対価として何も与えないのは、
万引きと変わりません。

何かをしてほしいということは、
ただの欲望です。

自分から何かをしてあげたい、
ということが愛なのです。

自分の子どもを育てている時には、
見返りを求めずに色々なことをしてあげます。

それは何かをしてあげたい、
という愛を持っているからです。

このような考えから、
自分が好きかどうかの基準を考えています。

気になる人ができたら、
その人に何かをしてあげたいか、
を考えます。

他にも、
美味しいものを食べたら、
「一緒に食べたいな」とか
「食べさせてあげたいな」とか考えるかです。

「一緒に見たいな」
「一緒にここに行きたいな」
などその人に喜んでほしいから、
何かをしてあげたいと自分の中に湧き上がるかどうかで考えています。

だから気になる人ができた時に、
その人に何かをしてあげたいかを考えて、
出てこなかったり、
自然に考えて無ければまだ好きじゃないんだと判断してます。

ホントはですね、
こういうことを感覚的に出来れば一番いいんでしょうけど。

私は頭が固くて、
感覚的にみたいなものが中々理解できないので、
こういう基準を作っています。

自分が好きかどうかという基準は人それぞれだと思うので、
好きかどうか分からないなんて考えてしまう人は、
自分なりの基準を見つけられればいいですね。