コミュ障が克服できない?というか克服せんで大丈夫やで

こんにちは!
ぽっぽです

私は中学生ころからコミュ障やってました。

そらもうバリバリに。

当時はどうにか人と気軽に喋れるようになりたいとか、
普通の人と同じように振る舞いたい、
みたいに考えていました。

ですが、
今なら言えます。

コミュ障克服しなくても大丈夫やん

今回は、
コミュ障は克服しなくてもいい、
ということをお話したいと思います。

コミュ障とは

そもそもコミュ障ってのは、
会話の感じ方、
なんです。

初対面の人との会話が苦痛に感じたり、
知っている人でも雑談が苦痛に感じたり、
かんたんに言うなら「会話がしんどい」ということです。

私の場合には、
人からどう思われているかが分からなくて怖い、
人の目線が怖い、
というのがあって人と喋ることが本当に嫌でした。

コミュ障あくまで感じ方なので、
実際に会話が下手かどうか、
ということは関係が無いのです。

なのでものすごく気を使って会話が上手い人でも、
人と喋ることがしんどいと感じるのであれば、
コミュ障だと言えるでしょう。

逆に、
会話ベタの人でも、
喋ることに抵抗感を持っていなかったら、
それはコミュ障じゃないと言えます。

コミュ障はあくまで感じ方なので、
それは変えなくてもいいし、
治さなくてもいいです。

コミュ障を治せばいい?

なぜ治さなくてもいいのか?

ということですが、
考えて見て下さい。

会話に抵抗が無いだけで、
会話が上手になりますか?

おそらくならないでしょう。

もしコミュ障バリバリだった自分から、
コミュ障が消えた場合、
どう喋っていいか分からなくなっていたと思います。

自分がコミュ障だから会話がうまくいかないわけじゃありません。

会話は技術で上手くなります。

会話の感じ方は技術とはすこし離れているので、
関係はないのです。

もうちょっと違う言い方をすると、
会話の技術は相手と自分を結ぶケーブルのような感じです。

このケーブルを通して、
相手と意思疎通をしているのです。

対して、
コミュ障は感じ方で、
これは自分の中のものです。

ケーブルに関係ありません。

なのでコミュ障を治しても、
ケーブルが上手く繋がらないと、
会話上手になったとは言えません。

だからこそコミュ障は治さなくても大丈夫なんです。

コミュ障は長所

コミュ障は治さなくても大丈夫というか、
むしろ治さないほうが良いとも言えます。

これは日本人的な考え方があるからです。

日本人は他の人とうまくやっていきましょー、
っていう「和」を重んじているんです。

だから文化的に、
「相手がどう思うか」
っていうのを気にしなさいって言われている感じです。

かんたんに言うと、
相手を大切にしているっていう感じです。

実は対人恐怖症っていうのも日本独特で、
相手を不快にしてしまっているんじゃないか、
っていうのが怖いっていう神経疾患です。

こういう不安はコミュ障さんにも通じるものがあるのです。

このような文化があるからこそ
相手に思いやりを持つことが出来るのです。

コミュ障さんは相手のことを考えすぎて、
気を使いすぎてしんどくなってしまうことがあります。

だからこそ相手に上手く気を使ったり、
気配りをすることが出来るのです。

そんな気配りをするためにも、
コミュ障の感じ方を残しておいたほうが良いのです。

コミュ障治すよりも…

ではコミュ障は治さなくていいのであれば、
どうすればいいかです。

それは、
会話の技術を磨けばいいのです。

会話の技術は、
相手と自分をつなぐケーブルです。

それさえ磨いてしまえば、
会話は上手く行くのです。

もし会話自体が嫌なのであれば、
それは別に変えなくても大丈夫です。

ただ喋らなければ良いのです。

もし喋りたい人がいるならば喋れば良いのです。

言うなれば、
自分の好きな人とだけ喋っていけば良いのです。

ですが、
その好きな人たちと仲を深めるために、
ケーブルをつなぐ会話の技術を磨いていけば良いのです。

私は今でも人と喋ることが苦手だし、
正直人と喋ることが嫌です。

私は本当に好きな人としか基本的に喋りません。

嫌いな人とは喋らないし、
仕事などで喋る必要がある時は必要なことしか喋りません。

ただその中で、
軋轢をなくすための会話術を身に着けているだけです。

なので、
もしコミュ障を治さなければ、
と悩んでいるのであれば。

治さなくても大丈夫、
ということを理解いただければと思います。

代わりに会話の技術を少しずつでもいいので、
身につけていきましょう。

まとめ

コミュ障はあくまで感じ方。

コミュ障を治しても、
会話が上手になるわけじゃない。

コミュ障は、
相手を思いやるという部分を持っているので、
治さないほうが良いとも言える。

コミュ障を治すよりも、
会話の技術を磨きましょう。