仏教から学んだ、人間関係で◯◯を捨てれば楽になる

こんにちは!
ぽっぽです

昔に私はコミュ障で人間関係がしんどかったし、
人と喋りたくないとずっと思っていました。

まあ今でもそんなに喋りたいわけじゃないですけど。

何であの人はあんなことを言うんだろう、
何であの人はあんなことをするんだろう、
と疑問でした。

そのたびに私は傷ついて、
人と喋りたくないと思いました。

人と喋りたくないと思っていた、
高校生くらいの時にあることを学んだのです。

それが仏教だったのです。

仏教のお陰で、
かなり人間関係が楽になったのを覚えています。

仏教って?

よく仏教を勉強したとか言うと、
「お経言えるの?」
とか聞かれますがそんなのいえません。

私が勉強したのは、
原始仏教ってやつでした。

簡単に言うと、
お釈迦様が悟りを開くための哲学みたいなもんです。

これの一部の考えで、
人間関係が楽になりました。

よく日本語とかでも言われますが、
四苦八苦ってのありますよね。

これは、
死ぬこととか病気になることとか、
生きること自体が苦であるっていう考え方ですね。

つまりは、
全部「苦」なんです。

これに加えて、
色即是空空即是色っていう考えもあります。

ようはこの世のものは全部空虚なものだから、
いちいち心を揺り動かされんなよってことです。

こういう考えを私なりに解釈してみました。

期待を捨てる

この世は全部苦なんです。

だから、
悪いことが起きるというか、
自分の望まないことが起きるのは当たり前なんです。

そのあたり前のことに、
こころを揺り動かされるからしんどかったんです。

つまり今まで自分は、
人間関係で期待していたんです。

ホントは望まないことばっかりのはずなのに、
良いことが起きるんじゃないかと期待していました。

そして実際に起こるのは、
望まないことばかりです。

だからしんどかったんです。

仏教の考えから私は、
期待をしなければいいんだ、
と学びました。

こうすれば人はこう動いてくれるだろう、
こうすれば人はこう思ってくれるだろう、
そんなことに期待しないようにしました。

だってこんなことは起こるとは思えないからです。

だからこそ期待をすてれば、
楽になるのです。

実際の人間関係

じゃあ実際の人間関係でどう考えているかというと、
常に絶望をしてるって感じです。

人はこう動いてくれるだろう、
ではなくて、
人はこう動く傾向がある、けど最終的には分からない。
という感じです。

人対人なので、
最終的にどうするかとか、
どう考えるかとかは、
その人次第です。

その人の中で起こることなんて、
自分にはわからないし、
コントロールも出来ないので、
絶望をしておくのです。

絶望をしておくというと分かりにくいかもしれません。

絶望をしておくというのは、
起こりうる最悪の事態が存在する、
ということを覚えておくことです。

例えば、
喋っている相手から急に殴りかかられる、
っていう最悪の事態があるということを考えておきます。

それ以外のことは、
だいたいマシです。

最悪よりも上のことだからですね。

注意点

ただ注意点として、
最悪の事態が存在するからそれを避けようとする必要は無いのです。

あくまで起こりうる可能性の一つなので、
心配してもしかたありません。

例えるなら、
地震が起きるかもしれないから、家から出ないみたいなもんです。

地震が起きるかもしれませんが、
それでも生活は出来ます。

ですが地震が全くない国に地震が起きた時パニックになりますが、
地震の多い日本だとそこまでパニックにはならないですよね。

こんな感じで、
最悪を想定しているからこそ、
それよりもマシなことが来てもそれほどこころが揺れない、
ということになるのです。

だからこそ、
人間関係においても、
絶望をしておくことがいいのではないかと思います。

少なくとも私は今までに、
仲良くしていると思っていた人に陰口を言われていたりとか、
急に冷たく接されることがありましたが、
今までに比べてかなり冷静にその状況を見ることができました。

まとめ

人間関係は、
思い通りに行かないものです。

常に不測の事態が起こりえます。

だからこそ、
それ以外のことはだいたいマシなんです。

人間関係で傷ついてしまう人は、
敏感な人だということを聞いたこともあります。

しかし私からすれば、
その人がとても優しい人だからこそ、
他人にも同じ優しさを期待してしまうのではないかと思います。

なのでほんの少しだけ冷静になって、
絶望してみるのもオススメです。